ようやく週末です・・。
今週は会社を休みたいくらい心身がしんどかったけど休めなかった・・。
あ、例のやつじゃないですよ。発熱や咳はありません。
もともと少ない人数で業務を回してるところにもってきて、トラブルが起きた。
長時間労働な上、心配で眠れない日々が続いてて、頭痛やダルさがひどいです。
みなさん「無理しないで」と言ってくれますが、心の中では「私だって無理したくないよ」と泣いています。
「無理させてるのは誰よ!?」と思ったりしちゃう。
・・・
私に無理をさせてるのは誰なんだろう?
上司? 部下? 会社? 顧客? それとも自分で自分を追い詰めてる?
ひょっとして、この全員が誰かに無理をさせられてるんじゃないか?
誰もが「無理させられてるの無限地獄」から抜けられないだけじゃないか?
誰もが誰かに無理させられてる
自分の会社も、取引先も、関わる人はみんないい人たちです。
誰もが「顔色が悪いよ?無理するな」と言ってくれる。
だけど、「そのトラブルはもうどうでもいいよ」なんてことは誰も言いません。
なぜならみんなも誰かに無理させられてるから。
- 会社と上司は顧客からプレッシャーを受けてる。
- 顧客は、彼らのクライアントや上司からプレッシャーを受けてる(プレッシャーのフラクタル構造)。
- 部下や同僚は、家庭と仕事の両立で無理してる。
- 私は私で「お客さんへの責任があるんだから」と自分を追い詰める。
みーんな無理して疲れてる。
なぜならこれは仕事だから。
道義的責任もある。ちゃんと仕事しない人は「この社会」では疎外されがちだもんね。
なにより資本主義ではお金が必要。
そう「この社会」では無理してでも仕事しなくちゃいけない。
「働かない」は怠けか、思想か?
そうだよね。
誰もが無理をさせられてるこの状況の根っこを探ると、「無理させてるのは社会システム」のような気がする。
そんで、その考えのリソースはこの本だ、と思い出しました。
なぜ人に会うのはつらいのか メンタルをすり減らさない38のヒント (中公新書ラクレ)
佐藤優さんがこの本の中で、「ひきこもるのは、一つの『思想』ではないのか」という仮説を立ててます。
こう言うと、「ただ働かない人間に、そんなものなどあるはずがない」という反応が返ってきそうですが、私は意識的に、あるいは無意識のうちにかもしれないれど、「目の前にある社会システムに従うのは困難だ。だから私は下りる」という思想だと感じるのです。
何が言いたいのかというと、ひきこもりは、単なる「現実逃避」や「サボり」とは違うということです。
なぜ人に会うのはつらいのか メンタルをすり減らさない38のヒント (中公新書ラクレ)
セミリタイアやFIREも思想なのかも
佐藤優さんは、イソップ寓話「酸っぱい葡萄」の再解釈としてこうもおっしゃってます。
「酸っぱい葡萄」というのは、あながち負け惜しみではなくて、「俺は自分にとって無意味な競争からは下りて、自分に適した餌やねぐらを見つけるよ」という、これこそ現代的な思想として読み換えられるのではないか。
これはあくまでひきこもりに関しておっしゃっていること。
だけど、「管理職が辞めたい」「お金が減ってもいいからセミリタイアしたい」で頭がいっぱいの私には、同じことのように思える。
「目の前にある社会システムに従うのは困難だ。だから私は下りる」
そう、それなんですよ!
このまま働けば通帳の残高は増えるかもしれないけど、その代わり深夜も土日にも催促される生活は、もう無理。
そうして身を削って目標を達成したのに「来年も2桁成長ね」とか言われるの、もう無理。
私も「自分に適した餌とねぐら」を見つけに行きたい。
いま流行してるFIREも同じかもね。
FIREしたい人は怠けたいのではなく、この社会システムから下りたいのかも。
一見お金にこだわってるようだけどそこは仕方ないかな、と思います。
飲み水を含めた自給自足の手段を確保しないかぎり、資本主義からは逃れられないからね。
というわけで。
自分のセミリタイア願望を正当化してみました。
休憩おしまい、現実に戻ります。
土曜日ですが、会社のメールをチェックしてきます。
●セミリタイア決断に役立った読書●
辞めるのは迷惑?ー退職への罪悪感や生産性の呪縛の解消法 - 管理職辞めたいです日記
キャリアは捨てない、年収と肩書きは捨てるけど - 管理職辞めたいです日記