管理職も会社も辞めました日記

管理職を辞めたいけど、今後の生活が心配・・。そんな気持ちを綴るうち、セミリタイアしちゃいました。が!現在はフリーランスとして、セミリタイアとは言えないほど、働いちゃってます。旧タイトルは「管理職やめたいです日記」

東京「キモ」散歩ー親に止められた冒険を、40年後にリベンジ!

セミリタイア生活を楽しむために、街歩きを始めました。

▷ セミリタイアの満足度を下げる原因3つと、その解決策

 

街歩き第一弾は、「いとこの住む街」でした。

いえ、いとこに会うためではありません。

いとこの家をこっそり見に行ったのです。

 

あっ!今、「キモっ」って思ったでしょう?

いいんです、いいんです、私だって自分で気持ち悪いと思いますもん。

 

どうしてそんな、不審者みたいな行動をしたかと言うと、この本の影響です。

40年前、親に止められた「冒険」を、どうしても実現したくなったんです。

それに、少々込み入った事情があり、いとこを堂々と訪ねられないのです・・・。

いくつになっても、「ずっとやりたかったこと」をやりなさい。

 

 

「やりたいこと」が見つからない人のための本を読んだ

リタイア読書の定番、いくつになっても、「ずっとやりたかったこと」をやりなさい。を読みました。

仕事を引退し、好きなことを思いっきりやる時間ができた。

なのに、そもそもやりたいことが何か分からない!、そんな私みたいな人のための本です。

 

本書では、やりたいことを見つけるための、具体的なワークが紹介されています。

子供時代を思い出してみる、とか、意味がないと思えるような場所を訪れてみる、

などなど。

 

そんなワークに取り組むうちに、子どもの頃、親に止められたあることを、思い出しました。

それが、「いとこの家に、一人で行くこと」でした。

 

子供の頃、親に止められた「やりたかったこと」

それはちょうど40年前の夏。

私は電車で、塾の夏期講習に通ってました。

その最終日、帰り道の駅のホームで、ふと思った。

「このまま家に帰るのはつまらない。いとこの○○ちゃんちに行きたい」

 

公衆電話で、それを母に伝えたところ、返事は案の定、「ダメ」。

突然訪ねたら、伯母さん(いとこのお母さん)に迷惑だし、

学校の夏休みの宿題もまだ残ってるでしょう、と。

 

うぅ、全面的に母が正しい。

私はおとなしく従った。

だけど、なんとも言えないモヤモヤが残りました。

 

それきり会えなくなった、いとこ

たったそれだけのことなんだけど、話を複雑にしている、別の事情があります。

直後に、親戚どうしの争いが勃発、それ以降、いとこに会えなくなってしまったんです。

 

一族の恥なので、詳細は省きますけど、最終的に裁判にまで発展、

いとこ一家の話は、タブーになりました。

年賀状のやりとりすら、途絶えちゃった。

 

私が遊びに行きたいと言ったあの夏、すでに親同士が揉めていたのか?

子供だった私には、分かりません。

私は、仲が良かったいとこに会えなくなって、悲しかったけど、

中学に上がり、学校の友達付き合いが忙しくなったら、寂しさも薄れていきました。

 

あの"冒険"を、40年ぶりにリベンジ

いとこの家に行かせてもらえなかったことが、ずっと心にひっかかってたのは、

そうした「大人の複雑な事情」の影響もあると思う。

 

でも、それだけが理由じゃない気がする。

それが何なのか、自分でもずっと分からなかったけど、

この本のワークで、ようやく言葉にすることができました。

 

あの時の私は、ただ自由に行動したかっただけだと思う。

夏期講習の最終日の解放感を、どこか別の街に行くことで感じたかったんだ。

折りしも、塾通いで、一人で電車に乗れるようになった頃でした。

大人になった気分で、一人で遠出という"冒険”をしてみたかったんだ。

 

きっと、家と学校と塾以外なら、場所はどこでもよかったんでしょう。

子どもだったから、いとこの家くらいしか、行き先を思いつかなかっただけだろうな。

 

だけど、そんな冒険を親に止められちゃった。

ちょっと大げさだけど、自由への欲求が抑圧されたんだと思う。

 

だったら、今その抑圧を解放したらいいじゃない!

めちゃめちゃささいなことだけど、いや、些細なことだからこそ、やってみよう。

私はもう大人で、どんなバカなことでも、誰にも止められないんだから。

こうして、40年前の"冒険"のリベンジを思い立ったのでした。

 

40年後のいとこの家は果たして・・?

子どもの頃の住所録があるので、いとこの住所は分かります。

Googleマップのおかげで、そこへ行くことはできるけど・・・

あれから40年、いとこの家は、まだあの場所にあるんだろうか・・?

 

場所は、都内にある、坂の多い住宅街です。

もし、いとこの家が見つからなくても、歩いたらそれなりに面白かろう、と

スニーカーで出かけました。

 

駅前の風景は、それほど変わってなくて懐かしかった。

だけど、駅から先は、ぜんぜん記憶と違ってました。

あの頃は、まだのどかだったけど、今は開発が進んで、マンションが立ち並んでた。

 

「40年も経ったんだもん、仕方ないよね。いとこの家も、もう無いかもね」

と、半ば諦めつつ、歩きつづけたら・・・

・・・果たして、いとこの家は、そこにありました。

表札も、ちゃんと、私たちの家の苗字。

 

不審者すれすれの、キモい散歩

さすがに家は、建て替えられてました。

いとこと登って怒られた屋根や塀はもう無い。

きれいに人が住んでる様子です。

 

あの揉め事の後、伯父さんが亡くなったのは知ってたけど、

伯母さんといとこ姉妹は、どうしていただろう?

心のどこかで、ずっと気になってたけど、健やかに暮らしてるみたい・・。

よかった・・。

 

いとこ姉妹は、お嫁に行ったかな?

伯母さんは、まだここに住んでいるのかな?

干してある洗濯物から察するに、高齢の人が住んでいそうな・・・。

 

・・・ってダメだろ、私!

人の家の前に立って、洗濯物をジロジロみるなんて、やばすぎる

 

不審者と通報される前に、立ち去らなければ。

それでも、名残惜しかったので、当時の面影を探しつつ、

あの坂の街を歩いて帰りました。

 

「やりたかったこと」をリベンジした感想は?

我ながら、キモい散歩となりました。

東京「キモ」散歩だよ。

 

不審者まがいの行動をしてまで、あの頃「やりたかったこと」をやってみた。

その感想を一言で表すと、「気が済んだ」です。

 

特に深い気づきがあったわけじゃない。

いとこ一家の平穏な暮らしを知って、感動で泣いたわけでもない。

だけど、胸の中にあったモヤモヤが、一つ確実に消えました。

 

ただそれだけと言えば、それだけ。

だけど、電車に乗ってどこへでも行かれることが、大人とか自由だと思ってた、

そんな、幼く傷つきやすかった自分を思い出して、ちょっと切ない気持ちになったよ。

 

・・・なんて、五十のおばさんが「切ない」とか、ますます気持ち悪いですね、

ごめんなさい。

ますます、東京「キモ」散歩だ。

 

50代こそ、やりたいこと全部やってみよう

私はもう十分すぎるくらい大人で、好きなところはどこへでも一人で行けるけど、

年齢を考えると、残された時間は、そんなに長くないかも!?

 

自由に動き回れるのも、あと20〜25年くらいでしょうか・・?

そう考えたら、いまのうちに、好きなことをやっておいた方がいいよね。

子供時代にできなかったこと、「バカバカしい」なんて言わずに、全部やってみます。

 

あの夏期講習の日から40年、あっという間でした。

だったらきっと、これからの20年も、あっという間だよね。

「今さら」とか、「恥ずかしい」とか、言ってる暇は、ないのかも。

 

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