今日は父の日なので、父のことを書いてみます。
父は、重い病気のため、20代で余命宣告されました。
しかし、余命1年、と言われた後に始めた趣味が、名医や仕事を呼び寄せ、逆転ともいえる人生を送りました。
人生って、何が起こるか本当に分かりませんね。
このレベルの話は、ちまたに溢れているでしょう。
だけど、ネットの片隅に、父のことを書き残しておきたいな、と思ったんです。
私には子供がおらず、私が死んだら、父の物語を覚えてる人が、誰もいなくなってしまうから。
- 駐在員になるほど英語ができたのは、病気のお陰
- 誕生と同時に余命宣告。「いつ死ぬか分からない」人生
- 余命宣告されても前向きなのは「メメント・モリ」
- 英会話教室で、名医を紹介され、なんと手術成功!
- 私が死んだら、私の大切な人は居なかったことになる
駐在員になるほど英語ができたのは、病気のお陰
以前も、父について書いたことがあります。
● ソウルへ行くのも水盃と万歳三唱だった70年代初めの海外旅行 ●
国際部門に所属し、海外駐在員をしていましたが、それは父が英語を話せたから。
昭和50年代は、英語を話せるビジネスマンが、まだ貴重な人材だったようです。
なぜ、英語ができたのかというと、20代の終わりに、毎日教会に通って、アメリカ人の牧師さんに英語を習っていたから。
ではどうして、毎日英語に通えたかというと、余命宣告されて会社を辞め、暇だったからです。
治療の手段がなく、お医者さんに「後は好きなことをして過ごしなさい」と言われたのだそう。
ただ死を待つだけなのも空しいので、映画で憧れていた英語を話せるようになろう、と思ったらしい。
誕生と同時に余命宣告。「いつ死ぬか分からない」人生
こう書くと、突然余命宣告されたのに、気持ちを切り替えられた人みたいですね。
でも実は違います。
父は、誕生の瞬間に余命宣告された人でした。
戦時中に、死産同然で生まれたため、「この子は一歳まで生きられないだろう」と言われたそうです。
ところが、体は弱いながらも、父はどうにか成長しました。
七五三を経て、高校、大学と進学し、就職もして、母と結婚、子供(私です)までもうけちゃった。
しかし、何度も危ない時期があったようで、その度に「今度こそ覚悟を」と言われたみたい。
つまり、父は余命宣告に慣れっこだったのです。
「パパみたいに体の弱い人と、よく結婚したね」と、母に尋ねたことがあります。
母曰く「騙された。『虫歯と痔以外、悪いところはありません』と言われた」、だそうです。
騙されてくれた母に感謝です。
母は私を産み、病弱な父がいる家庭を支えてくれました。
余命宣告されても前向きなのは「メメント・モリ」
どうにか人並みの人生を送れていた父も、20代の終わりに、再び病気が悪化しました。
どこの大学病院でも見放され、
「余命は一年。残りの日々は、生まれたばかりの娘さん(私)と過ごしなさい」
と言われてしまいました。
それで会社を辞めて、私の面倒をみつつ、近所の教会に英語を習いに行き始めたというわけです。
アメリカ映画やビートルズの影響で、英語に憧れがあったみたい。
人生が終わるというのに、語学を習得しようなんて、ずいぶん前向きだよね。
思うに、父の人生はずーっと「メメント・モリ(死を忘れるな)」だったのでしょう。
いつ死ぬか分からなかった父は、好きなことをして生きる癖がついていたんじゃないかと想像します。
英会話教室で、名医を紹介され、なんと手術成功!
さて、ここからが人生の不思議なところ。
「最期の趣味」として通い始めた英会話教室で、名医を紹介されました。
英語を教えてくれた牧師さんか、教会の信徒さんだったかが、父の病気を専門とする医師の方と知り合いで、引き合わせてくれたのです。
そして、「ダメもと」で受けてみた新しい手術法が、なんと成功しちゃった。
成功「しちゃった」、という表現は変か。
とにかく、死ぬ寸前だった臓器が復活し、父も元の職場に復活できました。
(もういろんな人に感謝!)
そして、「最期の趣味」として覚えた英語のおかげで、重宝される人材となり、
ついには、国際部門に配属され、憧れだった「英語で仕事する」を叶えたわけです。
父は本当に幸運でした。
多くの方のお陰で、人生を逆転することができた。
だけどあの時、「どうせ死ぬんだから」と家に引きこもっていたら?
あの幸運をつかむことはできなかったよね。
人生、何が起きるか、本当に本当に、最後まで分からない。
私が死んだら、私の大切な人は居なかったことになる
この話のオチが、
「父はその後も健康。今も元気に長生きしています。めでたしめでたし」、
だったらよかったんだけど・・・。
父は結局、元の病気が原因で、40代で亡くなりました。
(シングルマザーとなって、家族を支えてくれた母に再び感謝・・)
ミラクル手術も、10年ちょっと、余命を延ばすのが限界だったみたい。
だけど、一歳まで生きられないはずの人が、海外赴任まで果たしたのですから、
十分に充実した人生だったと思います。
このレベルの奇跡は、ありふれたもので、家族の記憶の中にひっそりとしまわれているだけなのでしょう。
だけど、その父の記憶も、私で途絶えてしまう。
私には子供がいないので、この話を語り継ぐ相手がいないから。
(まあ、もし子供がいたとしても、末代まで語り継がれるような奇跡でもないし)
以前、「黒歴史は、当事者が全員亡くなったら、勝手に消えるから安心して」なんて記事を書きました。
● 黒歴史は「あること」で消えるー諸行無常な気分の土曜日 ●
歴史に名を残すような人は別として、
忘れたくない記憶も、死んだらみんな消えて、父も私も、みーんな居なかったことになっちゃうんですねぇ。
それはちょっと寂しいな。
なのでこうして、はてなのサーバーの片隅に、父の記録を残そうとしてみます。
● 私が英語で仕事してるのは、やっぱり父の影響かな ●